沖縄そして日本の民主主義の行方
目次
沖縄の歴史
450年続いた琉球王国は1872年に沖縄県として日本に併合されました。
沖縄戦
1945年3月末から6月末にかけて、日本軍とアメリカ軍が沖縄本島を中心に激しい戦争をしました。沖縄戦です。この戦いで、多くの兵士が戦死しました。さらに、一般の住民が戦闘に巻き込まれ、貴い命を失いました。
沖縄戦に参加したアメリカ兵は約54万人。そのうち18万3000人が上陸。それに対し日本兵は11万人、そのうち2万数千人は沖縄で集めた「防衛隊」や学徒隊でした。日本軍とアメリカ軍の力の差ははっきりしていました。
画像:長周新聞 沖縄本島中部の読谷村砂辺に上陸した米軍の艦船(1945年4月)
沖縄戦で実際に戦闘がくり広げられたのは首里から北側の地域までで、首里から南側へ米軍が攻めてきた頃には日本軍も住民もただただ南へ逃げるだけでとても戦える状況ではなかった。
宮平盛彦氏(西原町) 県立一中・通信隊
画像:長周新聞 「鉄の暴風」と呼ばれた米軍艦船による艦砲射撃
画像:長周新聞 米軍に拘束され、道路脇に座り込む住民(1945年4月)
画像:長周新聞 日本兵や住民が隠れている壕に爆雷を投げ込む米軍部隊
非戦闘員が居住している町や集落を攻撃すること自体、戦時下であっても許されない行為です。
世界中で、非戦闘員への爆撃が行われましたが、連合軍が上陸して攻撃してきたという点で、沖縄戦は特に悲惨なものになりました。
戦時国際法~害敵手段の制限
捕虜・傷病者・文民の殺傷などは禁止されている。
沖縄戦死者数
出典:総務省 「沖縄の援護のあゆみ」1996年 沖縄県生活福祉部
※国勢調査によると 1940年(昭和15年)当時の沖縄県人口は574,579人
沖縄の戦後~米軍基地由来の事故・事件・犯罪が多発
1952年 日本が国家主権を回復。米国は、1952年から1972年の間に、米軍基地を、国家主権を回復した日本から、米国占領下にあった沖縄に急速に移転させた。
新基地建設地確保のために、住民を追い出した。
画像:朝日新聞
銃剣とブルドーザー 米軍基地建設のために家を壊され呆然と立ち尽くす人々
画像:朝日新聞 土地接収直後の伊佐浜集落。民家はブルドーザーに押しつぶされた=1955年7月19日
沖縄の戦後~米軍人・軍属による事件・事故が多発
沖縄では戦後、米軍人・米軍属による事件・事故が多発していますが、被疑者が米軍基地内に逃げ込めば、日本の警察は逮捕できなくなります。
【米軍の警察権が基地の外における米軍人・軍属による事件・事故に及ぶ範囲】
・基地外で発生した事件については、米軍に第一次裁判権がある事件であっても地元日本警察に連絡するなど必要な措置をとることが求められている。
・基地外での事件について、被疑者が軍人であるか軍属であるかその身分の違いにより、身柄の取り扱いが異なることはないが、日本警察が逮捕の必要性があると判断しても被疑者が基地内にいる場合は、日米地位協定により原則として起訴前の身柄拘束は米軍当局にゆだねられることになっている。
・そのため、日本警察による米軍関係者の身柄の拘束は困難な状況にある。
・米軍人・軍属による事件が基地の外で発生した場合、日本警察において逮捕の必要性があると判断した場合は、裁判所へ逮捕状の請求をするなど所要の手続を踏み、被疑者を逮捕しているが、米軍憲兵隊と日本警察の双方が法律違反の行われた現場にある場合には、地位協定上の共同逮捕となる場合があり、日本警察の存在にもかかわらず、身柄の拘束は米軍憲兵隊が行い日本警察が行うことはできない取り決めとなっている。
平成20年(2008年) 第 2回 沖縄県議会(定例会)
第 2号 7月 3日
警察本部長(得津八郎)
1959年 米軍機が宮の森小学校に墜落した。17人が死亡、210人が負傷した。
画像:毎日新聞
1965年 米兵による交通事故で即死した少女
画像:池田香代子ブログ
1970年 コザ暴動 25年間の米軍占領に対する怒りが爆発
米兵が起こした人身事故をきっかけに住民が米国人車両などを焼き払った
画像:沖縄タイムス
1972年 沖縄の復帰
1972年5月15日に、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還された
1995年 米兵3人が女子小学生を集団暴行
画像:西日本新聞 8万5000人が事件への怒りの拳を突き上げた県民総決起大会=1995年10月21日
1996年 日米地位協定の見直し及び基地の整理縮小に関する県民投票
有権者数90万9,832人で投票率は59.53%、投票総数54万1,638票のうち有効投票は52万8,770票でした。有効投票のうち、賛成票48万2,538票、反対は4万6,232票でした。基地整理・縮小と日米地位協定の見直しに賛成が89.09%という結果でした。
1997年 名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票
「反対」「環境対策や経済効果が期待できないので反対」合計54%で、「賛成」「環境対策や経済効果が期待できるので賛成」合計46%を上回った。
1996年沖縄県民投票、1997年名護市民投票ともに辺野古基地建設反対という民意が示されたが、辺野古基地建設工事はどんどん進められていった。
1997年 辺野古での座り込み運動が始まる
画像:連帯ユニオン
2004年 軍用ヘリコプターが沖縄国際大学に墜落
画像:沖縄タイムス
2019年 沖縄県民投票
2019年2月 辺野古基地建設の埋め立て反対72.15%
「辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票」では、「反対」が72.15%に達した。しかし、安倍晋三首相は、基地移転は「これ以上先送りすることはできない」と述べ、投票結果を受け入れない姿勢を示した。
日本政府、沖縄県民投票の結果受け入れない方向 辺野古埋め立て - BBCニュース
2019年3月 地方議会に陳情書送付
日本は、主権在民という民主主義を採用している国なので、3回にわたる住民投票の結果がすべて無視されるというのは、民主主義の危機といわざるをえません。
2019年の沖縄県民投票の結果と日本政府の姿勢は、私たちに、
・憲法に明記されている主権在民という理念を守るのか破壊するのかという問題
・アメリカに国家主権を譲り渡すのかという問題
・国家安全保障をどうするかという問題
などなど、大きく重い問題を、突き付けてきます。
2019年の沖縄県民投票を主導した人たちは、日本政府が辺野古の埋め立てをやめないのなら、すべての地方議会で、この問題を議論してもらいたいと、2019年3月、1788ある地方議会すべてに、陳情書を送りました。
画像:毎日新聞 2019.3.25
2019年10月 Global Forum
ブログ主 fcKamioka ( fm那覇<明るい未来にチェンジ>パーソナリティ 『社会信用論』翻訳者)は、民主主義をテーマとする世界最大の国際会議 Global Forum にパネリストとして参加し、2019年の沖縄県民投票の結果と全地方議会へ陳情書送付、石垣市住民発議の経過について、報告してきました。
fcKamioka 発表内容の主旨
・県民投票の結果を無視する日本政府の姿勢は、憲法に明記されている主権在民という理念を破壊するものである
・日本国内の全地方議会に、憲法に明記されている主権在民という理念を尊重するのかどうかという問いが突きつけられている
2021年9月末時点 陳情書採択率2%
沖縄県名護市辺野古の新基地建設を中止し、普天間飛行場代替施設が必要かどうかの議論を本土で引き取るよう求める「新しい提案実行委員会」の陳情が9月末現在、全国47の自治体議会で採択されたり、意見書が可決されたりしていることが、実行委のまとめで分かった。
2021年9月末時点において、この問題について結論を出してくれているのは、全国で47議会。すべての地方議会の2%にとどまっています。
米軍基地を撤退させるために
① 民主主義制度を正しく運用する⇔住民投票結果を尊重する
日本憲法に「主権在民」を掲げているのですから、民主主義の「制度」を正しく運用するのは当たり前すぎることです。
しかし、日本政府は、沖縄県内で行われた2つの県民投票と名護市民投票の結果を3回にわたって無視し続けています。
住民投票の結果を無視するなんて、民主主義を標榜する国による、民主主義制度の破壊行為に他なりません。日本の民主主義は、危機的事態に陥っています。
日本の有権者も政治家もマスコミも、日本の民主主義が危機的状況にあることに、あまりにも無頓着すぎます。
沖縄県内で行われた2つの県民投票と名護市民投票の結果を無視することが、民主主義国としてありえないレベルのひどい話であることに、危機意識がなさすぎです。
日本政府には、住民投票の結果にそった措置をとることを、断固として求めていかねばなりません。
② 「住民発議による住民投票」の制度欠陥を是正する
日本の住民投票制度の主な欠陥は、下記の2つです。
・住民投票に向けて法定署名を集めても議会によって却下され投票に持ち込めない場合がある
・投票結果に法的拘束力がない
この2点を是正していくことは、憲法に民主主義を掲げる国と国民の使命です。この2点を是正していかない限り、憲法に掲げられている「主権在民」を実行することはできないのですから。