以下、BBC 2020年6月25日の記事 Canada’s forgotten universal basic income experiment by David Cox の翻訳です。
カナダのベーシックインカム社会実験
新型コロナ危機による失業が拡大していくなかで、ベーシックインカムに、期待と注目が集まっています。
40年以上前に実施された、カナダのベーシックインカム社会実験「ミンカム」の成果が、これからのロードマップになりうるかもしれません。
- ミンカムとは
- ミンカムの実験場ドーフィン
- 社会実験ミンカム、打ち切られる
- イブリン、ミンカムの全貌を明らかにする
- ミンカム打ち切り後
- ベーシックインカムは国レベルで実施できるのか?
- ベーシックインカムこれからの展望
ミンカムとは
イブリン・ファーゴット(Evelyn Forget)は、1974年、トロントで心理学を学んでいたとき、カナダの田舎町、マニトバ州ドーフィンでスタートした、画期的な社会実験のことを知りました。
「つまらないな~と思いながら、経済学の授業を受けていたときのことです。」イブリンは回想します。
「2週目の授業で、教授から、カナダの福祉制度のあり方に革命をもたらすであろう、素晴らしい実験について聞くことになりました。それはそれは魅力的な話でした。そのときに気づいたのです。経済学を用いれば、ありとあらゆることを建設的な方向に導けると。」
この、「ミンカム」と名づけられた社会実験は、農村部の貧困対策として、経済学者が率いるグループによって設計されました。
プログラムが実行された1970年代の4年間、ドーフィンの平均的家庭には、1年間に16,000カナダドル(11,700米ドル、9,400ポンド)のお金が配られました。
※1975年頃の為替レート:1米ドル=約300円
新型コロナによって失業者が増える可能性が高まりつつある現在、ベーシックインカムを求める声が、世界中で沸き起こっています。
「ミンカム」の目的は、貧困ライン以下で生活している人々に、ベーシックインカムとして現金を支給し続けた場合に、生活の質が改善するのかどうかを確認することでした。
ベーシックインカムは、啓蒙時代以降、提案されることはあっても、まったくといっていいほど検証されてこなかった、壮大な経済思想です。
ミンカムを主導した人々は、40年後の未来に、これが、実社会で行われた「ベーシックインカム社会実験」の数少ない事例のひとつとして、ベーシックインカム導入議論の中心に据えられ議論されることになろうとは、想像もしていなかったでしょう。
ミンカムの実験場ドーフィン
時を1974年に巻き戻しましょう。社会改革機運の高まりを受けて、カナダの政策立案者たちは、1960年代から1970年代初頭にかけて、次々と新しい政策を打ちだしていました。1972年、カナダ全土に国民皆保険が導入されたのも、この流れにおいてです。
マニトバ大学の経済学者 デレク・ハムは、カナダ連邦政府と州政府の賛同を取りつけたうえで、マニトバ州職員の ロン・ヒケル、マイケル・ローブとともに、ドーフィンの最貧困層に属する人々の収入を増やすために、毎月一定額の小切手を受け取れる制度を作り、住民の申込みを待ちました。
ミンカムは、当時のカナダにおいて、史上最大の、野心的な社会科学実験でした。この社会実験によって判明したのは、現金を支給し続けると、メンタルヘルスが改善し、入院率が低下し、高校を卒業する子供の数が増えることでした。
「お金をもらったからといって、何もしないなんてことは、ありませんでしたよ。」
ドーフィンに生まれ育ち、実験が始まったときに15歳だったシャロン(Sharon Wallace-Storm)は言います。
「3人家族または4人家族を支えるために最低限必要となる生活費が、支給額として設定されていました。ミンカムには、収入証明書を提示すれば応募できるようになっていました。一定以上の収入を得ていた人たちにも、いくらかは補充されました。」
陸の孤島
イブリンは、ドーフィンが「陸の孤島」である点に、興味をそそられました。
州都ウィニペグ市から車で5時間、広大な平原の真ん中に位置するドーフィンは、農業と、小さなトレーナー製造工場によって成り立っている町でした。
住民は皆「どこからも100マイル離れている町なのさ」と自嘲気味に言います。
もちろん、ドーフィンは、理由なく選ばれたわけではありません。
経済学者は、この社会実験には、人口10,000人の町が適当であると考えていました。人口が少なすぎる町では、社会実験として十分なデータが得られません。人口が多い町では、コストがかかりすぎてしまいます。
ドーフィンは、人口の規模も、1日で往来できるところに立地している点においても、理想的な町でした。
ミンカムの主導者らは、地図を広げ、マニトバ州の州都ウィニペグ市を中心に、大きな円を描いて、ドーフィンを見つけ出したのです。
現金を支給されると就労意欲が下がるのかどうかを調べるために設計された「ミンカム」は、あしかけ4年以上、実施されました。
社会実験ミンカム、打ち切られる
しかし、ミンカムは、1970年代半ばから後半にかけての政治的・経済的混乱の煽りを受けて、1979年に打ち切られることになりました。
石油ショックによってインフレとなり、失業率も上昇していました。
1979年までの間、インフレにともなってミンカム予算が膨れ上がる一方で、ドーフィンに暮らす人々は、ミンカム予算では賄いきれないほどの支援を必要とするようになっていました。
カナダ連邦政府も、マニトバ州政府も、ミンカムを続けることはできないと判断し、この社会実験は中止されることになりました。
データファイルは段ボール箱に詰めこまれ、倉庫に保管されました。以来30年近くの間、ミンカムの実験データは、活用されることもないまま忘れら去られ、朽ち果てつつありました。
イブリン、ミンカムの全貌を明らかにする
1974年、ミンカムのことを知ったイブリンは、すぐさま、専攻を心理学から経済学に切り替えました。そして、ヘルス・エコノミストになりました。ミンカムがどうなったかについては、気がかりなままでした。
そして2008年、彼女はついに、ミンカムについて調査する決心をします。
「貧しい人ほど、医療制度を必要としていますが、ヘルス・エコノミストからみると、医療制度は効率が悪く、効果に比べて、かかる費用が高すぎるのです。」
「何年にもわたって、悲惨極まる生活を送っていれば、病気になって当たり前です。人が病気になるまで待って、そこでやっとお金を投入するのが、医療制度というものなのです。」
イブリンは、ミンカムのデータが、カナダの国立図書館アーカイブ・ウィニペグ地域事務所の管轄下にあることを突き止めました。
データを分析する許可を得た後、表、調査票、評価書が詰め込まれた、埃まみれの箱、1,800個を受け取りました。データはすべて、デジタル化する必要がありました。
イブリンは、この膨大なデータと格闘しながら、数年かけて、ミンカムの全貌を明らかにしていきました。その内容は目を見張るものでした。
特にイブリンが感動したのは、4年の間に、ミンカム参加者の健康状態が改善したことです。
ミンカム開始後、メンタルダウンがきっかけとなることが多い、アルコール関連の事故や入院が減少していました。入院数は8.5%減少し、かかりつけ医の診察数も減っていました。
イブリンは、ミンカムを通して直接的に支給した現金が、人々の健康を向上させたのだと確信しています。
「貧困対策が、人々の健康にどんな影響がもたらすのかを確認したかったのですが、結果は、本当に興味深いものでした。4年間で、入院数が8.5%も減ったのです。驚異的な話です。」
銀行融資が活況に
ミンカムが始まったときに18歳、結婚したばかりだったジョイ・テイラーは、ミンカムに参加することで、お金の心配をすることが少なくなった町の人々が、幸福そうになっていったと記憶しています。
彼女の夫は、レコード店を開くにあたっての銀行融資を、簡単に取りつけることができました。銀行は、所得が保証されている人が始めるスモールビジネスには、嬉々としてお金を貸しだすものなのです。
高校を卒業する子が増えた
高校を卒業する子どもの数も増えました。
ミンカムが実施された頃、マニトバ州内の田舎町では、高校を卒業する子どもの割合が、州都ウィニペグ市よりも少ないのが普通でした。もちろん、ドーフィンも例外ではありません。
男の子の多くは、高校を16歳で退学し、農場や工場で働いていました。ところが、ドーフィンでは、ミンカムが実施された4年の間に、州都ウィニペグ市よりも、高校を卒業する子どもの割合が高くなっていったのです。
1976年、ドーフィンの高校生は全員、最終学年に進級しました。100%の割合です。
「家族の中から初めて、高校を卒業する者が現れたという家庭は、決して少なくありませんでした。ミンカムが始まったとき、多くの親が、息子たちを、もう少し長く、学校に行かせられると思いました。このことは、ある意味で、最高にエキサイティングな結果です。人的資本への投資が行われたわけですから。」
虫歯治療ができた
ミンカムに参加した家族の中には、それまで手の届かなかったものに、手が届くようになったと感じた人もいます。
実験開始時に10歳、6人兄弟の末っ子だったエリック・リチャードソンにとっては、ミンカムとは、生まれて初めて手にした「歯科医院への旅行券」でした。
「歯科医院というのは、自分で稼げるようになるまでは、足を踏み入れることができない、特別な場所でした。私には10本の虫歯がありました。何の迷いもなく歯を削っていく歯科医の仕事ぶりは、今でも忘れられません。」
・カナダ史上最大の社会実験
・メンタルヘルス改善
・入院率が低下
・高校を卒業する子どもが増えた
ミンカム打ち切り後
しかし、1979年にミンカムが打ち切られると、健康面、教育面で見られた改善は、あっという間に1974年のレベルに逆戻りしてしまいました。
ジョイは、ミンカムが実施されていた4年の間に生まれたスモールビジネスが、次々と消えていったことを記憶しています。
ジョイ夫婦も、レコード店を閉めて、ドーフィンを出ていくことになりました。
「ミンカムが終わったら、もうドーフィンでは生活できなくなってしまったの。それで、1980年にオンタリオに引っ越したんだけど、オンタリオでも、あまりうまくはいってはないのよ。」
ドーフィンは再び、何の変哲もない田舎町のひとつになりました。
しかし、イブリンが粘り強く、調査報告書の全貌を明らかにしてくれたおかげで、世界中の政策立案者や学者に、長い間忘れ去られていたベーシックインカム社会実験「ミンカム」を検証してもらえるようになりました。
世界中で、もっと大きな規模でのベーシックインカムを実施できるかについて、検討され始めているのです。
ベーシックインカムは国レベルで実施できるのか?
財源問題
国レベルでベーシックインカムを導入すべきという人は、貧困を減らすためには、一定基準以下の低所得者にお金を給付する、ミンカムの様なシステムによって、既存の福祉制度を補完すべきと主張しています。
国レベルのベーシックインカムを求める人は、福祉制度の厳しい審査基準それ自体が、支援を不十分なものにしていると感じています。
一方で、国レベルでベーシックインカムを導入し、新たに数百万人を支援するには、莫大な行政コストがかかるという指摘もあります。
そもそも、ミンカム参加者は、合計2,128人しかいませんでした。
2017年、バース大学の経済学者ルーク・マルティネリは、英国にベーシックインカムを導入した場合に必要なコストを、モデル化しました。
どんなに安く見積もっても、既存の福祉費用の他に、年間1,400億ポンドが必要になります。
今まで実施されたベーシックインカム社会実験では、これほどの大規模な政策にかかる費用を、政府は調達できるのか、あるいは、国民に増税を受け入れる覚悟があるのか、確認できていないという批判もあります。
・政府はベーシックインカムの財源を確保できない
・国民には、増税を受け入れる覚悟がない
就労意欲
ミンカムによって判明したことのひとつは、ベーシックインカムが、受給者の就労意欲を低減させないことです。
ベーシックインカムに反対する政治家は必ず、現金を定期支給すると就労意欲が損なわれると主張します。
しかし、ドーフィンの雇用率はミンカムの4年間を通じて変わりませんでした。それは、最近行われたフィンランドのベーシックインカム社会実験でも同様の結果となりました。
フィンランドでは、2017年から2019年にかけて、失業者2,000人を対象として、月額560ユーロ(630米ドル、596ポンド)のベーシックインカムを支給しました。受給者の多くが、生活を安定させる仕事を見つけるにあたって、現金給付に助けられたと答えています。
イブリンは言います。「フィンランドでは最近、ベーシックインカム受給後に就いた仕事の質が変化したことが報告されました。使い道を問われないお金をもらうことで、不安定なパートタイムの仕事に就くかわりに、自立的生活ができるフルタイムの仕事に就く割合が、はるかに高くなったのです。フィンランドのベーシックインカム社会実験は、大成功だったといえるでしょう。」
ベーシックインカムこれからの展望
ベーシックインカムという政策を国レベルで実施するとどうなるのかを理解するために、国レベルで導入する前に、まずは一つの州で、あるいは、地域レベルで試してみるべきだという専門家がいます。
そうすれば、実際に、どんなコストがかかるのかがハッキリしますし、例えばマニトバ大学の経済学者グレッグ・メイソンが「妬みの力学」と呼んでいるような、無視することのできない社会的要因についても分析していけます。
グレッグは言います。「これまでに実施されたベーシックインカム社会実験はすべて、現金を支給することで勤労意欲が阻害されるかどうかを調べることに焦点が絞られていました。しかし、ベーシックインカムを受給できる基準をわずかに超えていた人々については、何も調査されていません。」
「低所得者の中には、働かずしてお金をもらっている人々に対して、激しい怒りを抱く人がいるかもしれません。」
グレッグは、大規模なベーシックインカムを成功させる秘訣は、「適正な支給額」にあると考えています。それは、最低限度の生活必需品は買えるけれども、「良い生活」は送れないレベルのお金です。
グレッグが考える適正支給額は、年収ベースで 15,000カナダドル(11,000米ドル、8,800ポンド)ほどです。ドーフィンのミンカムで支給された金額と同じくらいです。
大規模なベーシックインカムにおける適正支給額がいくらなのかについては、議論を深めていく必要があるでしょう。
イブリンは、新型コロナ禍によって、既存の福祉制度の欠落部分を補完できるような、思い切った政策を検討しなければならなくなったと考えています。
「新型コロナウイルスの感染拡大にともなってカナダで失業者が増え始めたとき、現行の福祉制度では、この災厄に対応しきれないことが浮き彫りになってきました。一貫性のない福祉制度によってミスマッチが発生し、セーフティネットの網目から抜け落ちてしまう、必要な支援を受けられない人が増えているのです。」
「パンデミックが終息したとしても、企業の多くは、今と同じように苦しみ続けることでしょう。雇用されている人が多いため、もっと一貫性のある解決策が必要です。ベーシックインカムを検討するしかありません。」
1970年代に、ミンカムを経験したドーフィンの住民にとって、ベーシックインカムがもたらすメリットに、疑いをはさむ余地はありません。
「私は、今日までずっと、ベーシックインカム賛成派です。」とジョイは言います。
「余分のお金が入ってくることがわかっているだけで、人生は少し、楽になります。請求書や食べ物を買うお金のことを心配しなくて良くなると、言いたいことを言えるようになります。」