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CHダグラス『社会信用論』翻訳者・上岡みおが世界の賢人に学んだことをつづるブログ

CHダグラス

以下、The Clifford Hugh Douglas Institute というCHダグラス研究団体によるダグラス紹介記事 Who was Major Clifford Hugh Douglas? の翻訳です。

 

クリフォード・ヒュー・ダグラス(1879-1952)

 

C. H. Douglas - Wikipedia

 

C.H.ダグラス、メジャー・ダグラスとも称されるクリフォード・ヒュー・ダグラスは、英国スコットランド出身の優秀なエンジニアでした。


ケンブリッジを卒業後、世界各地で働きながら、エンジニアとしてのキャリアを形成していきました。ピーターバラ(オンタリオ州)のカナダ総合電気会社、ラシーヌラピッズ油圧建設(ケベック州)ではアシスタントエンジニアとして、ブエノスアイレスの太平洋鉄道(アルゼンチン)では電気技師、主任技術者、マネージャーとして、インドのウェスティングハウス社、ファーンバラ(イングランド)の王立航空機工場では、副監督として働いていました。

第一次世界大戦中、イギリス陸軍航空隊に勤務していたときに、少佐の称号を与えられました。

ダグラスは、人生経験そしてエンジニアとしての勤務経験を積んでいくなかで、現代の工業化された経済と金融システムに、知られざる「性質」があり、驚くような「運用」がなされていることを発見をしました。

調査し発見した内容を基礎として哲学的、経済的、政治的、歴史的な考察を行い、理論を構築し、最終的に「社会信用(Social Credit)」として知られるようになる本を出版しました。

エンジニア職からの早期リタイア(彼が研究開発した理論が優れていたために可能となった)により、ダグラスは『社会信用論』の普及運動に専念することができました。

1920年代、30年代、40年代にかけて、ダグラスは、彼の著作や講演に啓発された世界的運動の中心にいました。それは今もって変わりません。

初期の頃、ダグラスの名声は非常に高く、1923年には「カナダの銀行調査」、1930年には「英国マクミラン委員会」、1934年には「アルバータ州立法委員会の事前調査」に招へいされ、証拠を提出しています。

『社会信用論』を普及させ仲間を増やそうとする人たちから招待され、オーストラリア、カナダ、日本、ニュージーランド、ノルウェー、米国などでレクチャーしています。

ダグラスの努力は、実を結ばなかったわけではありません。1935年、カナダ・アルバータ州では「社会信用党」が与党となりました。 同年、ダグラスは、アルバータ州政府の再建担当最高顧問に任命されました。

近い将来、C.H.ダグラスには、彼が人類に遺してくれた偉大な知識と知恵に対して、より正当な評価が与えらることでしょう。

もちろん『社会信用論』の原則とメカニズムが世界中の経済、政治、文化団体によって最終的に採用されることが、このうえない名誉となるでしょう。

 

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